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電子書籍 |
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既に始まっている電子出版ービジネスマンのための書籍スキャン入門 (磯ログ)
http://www.tez.com/blog/archives/001629.html
国内で展開している電子書籍サービスのまとめ (iPadまとめ)
http://www.ipadmatome.com/2010/05/blog-post_23.html
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電子書籍も 20冊30冊となってくると もう整理がつかなくなる。 ウェブページをお気に入りで整理しているのと同じようにお気に入りの中のフォルダでなんとかしたい。
独自なビューアーアプリとかやめてほしい。 PDF もバージョンアップするにつれ電子書籍らしくなるだろうから、そのへん期待。
http://xmny3v.sa.yona.la/760 |
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よっぱらい。
Re: 不買運動レベル — Re: 第4回日レス杯に関する見解 | 女流棋士問題について|お知らせ・イベント情報:日本将棋連盟
意味不明な棋戦 |
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>おまいが決めんなや。
まさにその通り。
なんでプロ棋士の出場を自分の都合で何の断りも許可もなく勝手に選んでしかも既定事実のように発表するのか、理解に苦しむ。
>てことは過去に何かあったのね。
>なら、この日本レストランシステム(の担当者)ってのもある意味被害者なのかもしれない。
日本将棋連盟と女流棋士の間には、相当将棋オタな自分でもよくわからないごちゃごちゃした揉め事があって、でもそれはもうお互いやればやるほど泥沼にハマっていくだけだし、いい加減すぱっとお互いケリつけましょう、という発表があったんです。
日本レストランシステムの担当者が被害者かどうかはやや疑問。
担当者が将棋なんかどうでもよくて、単に事務方の仕事でこういうのを会社からやらされているんだったらそれは被害者。
>日本将棋連盟もなかなか泥仕合がお好きとお見受けいたします。
現在の日本将棋連盟会長の米長邦夫は、現役時代、「泥沼流」と呼ばれる棋風で夙に知られておりました。
この「第4回日レス杯に関する見解」も、もうちょっと大人な文章で書けばいいのにとは、個人的には第一感思いました。
flashを出すブックマークレット (ページ上にyahoo天気予報出ます) |
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・ ブックマークレット ↓ (下 3クリックで一行選択、コピーしてアドレス窓にペースト、リターン)
javascript:(function(){var%20d=document;var%20s=d.createElement('script');s.setAttribute('src','http://vw.xii.jp/webpage/flashAll/yahoo_tenki/yahoo_tenki.js');d.body.appendChild(s);})()消すのは再読み込み。
全くワカランガー。 |
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転勤してきたニュー上司の指示で、職場の後輩に新しい仕事を教えることになったのですが、
話を切り出したら「やりたくねぇ」と猛反発。
ワケを聞いてみると、「何の話し合いもせずに新しい仕事を押しつけられるのは納得できない。」とのこと。
何かを決めるときには話し合いの席を設けて、俺が意見を述べる場が与えられて然るべき、なんだそうな。
あー。
決して無理難題を押しつけているわけではなく、覚えれば誰でもできる、ごく普通の仕事ですと言いましたよね?
しかも、今、この仕事を覚えてもらわなければならない必要性についてもきちんと説明しましたよね?
「すみません、新しい仕事を覚えていただきたいのですが、いかがですか?」なんて
いちいち部下にお伺いを立てる上司がデフォルトな脳内って、どんだけ自己中心的なんだよ・・・
いや、確かに以前の上司は仏様のような人で気軽に話ができたし、割と耳を傾ける人だったけどさ。
ぬるい期間が長かったから、完全に感覚がおかしくなっちゃってるんだろうな。
職場は学級会じゃねぇっつーの。小学生か。
http://gt7u9x.sa.yona.la/345 |
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身体的にも精神的にも頭が痛い
多分、身体的なほうは目の疲れから来てるんだろ
それでなくても、高校に入ったぐらいの頃から、よほど切羽詰ったときや、驚いたとき以外は常に意識がハッキリしないで、
なんだかいつでも靄がかかった感じなのに
それに頭痛が入るとだるくてめんどくさくて時間ばかり過ぎる。 ああ、無駄やん…
Re: 「組版:京極夏彦」
バイトクビになった |
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バイトしてたんだけど昨日「雇用契約期間の更新をしない」と言われた。
要するにクビになった。
理由に「いろいろとミスも報告来てるし、二ヶ月働いてその程度ならいらない」と言われた。
この程度…。私がやってきたことは全部「この程度」って言葉で済んじゃうものなんだ
なんだろう。すごく悲しくなった。
辛いとかじゃなくてただ悲しい。
頼んで昨日でバイトを終わらせてもらった。本当はもうちょっとあるんだけど店長に話して。
説明したら「なにくそって気持ちはないの?」って聞かれた。
ないよ。そうか。ここで悔しいって思うべきなんだなあ。そこからしてちょっと私はずれていたのかもしれない。
でもなんとなくはわかっていた。人が当たり前にできることが私はできなかったし、同期で入ってきた人はもうレジを打たせてもらっていたから。私は触った事ないんだけどね。
バイトの先輩にはいろいろ親切にしてもらった。ありがとう。
作ったものとかもらって嬉しかった。
昨日全部の荷物ロッカーから持って帰った。今ロッカー足りなくて困っているから空いて良かったと思う。
誰もいない着替え室に「お疲れ様です」って言って帰った。
でもちょっとホッとした。自分ができないとが辛かったから。なんども怒られたし、それでもできなかったから。
すこしのんびりするつもり。勉強も頑張らないとね。いつもバイトでつかれて寝てたから。
冷静に書いってるっぽいけど昨日はずっと泣いていた。人から認められないってやっぱり悲しい。
友達や周りの人にはクビになったことを言わないつもり。バイト自分からやめたことにする。
…一応間違ってはいないし。
でもここでだけは本当のこと書きたいと思う。
私はクビになりました。
Re: 「紙か電子かと幼稚な議論する場合ではない」——京極夏彦氏が電子書籍を語る :ニュース
「組版:京極夏彦」 |
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京極夏彦はInDesign上で書いて入稿までやってるので、つまり書体も選べればレイアウトも指定できます。
実際、紙の本の奥付に、このエントリーのタイトルのように書いてあるそうです。
ここまでやってるから言えることだし、ここまでやってる人が言うからこそ意味があることだと思いました。
なんならフォントまで埋め込みでPDF入稿してしまえば、(挿絵などはともかく)ある意味それが完成と言えないこともないので。
一方で、個人的には、「古式ゆかしいプレーンテキストでも意味として完成された形で伝えられる」ということも同じくらい重視したいという部分もあります。
極端な例だと、絵文字で俳句作っても出る絵文字が端末ごとに違うんじゃ意味ないし、「そうした文化的な価値を捨ててしまっても自分の作品が感動を呼び起こせる、という過信のある人」以外は小説なんか書いちゃいかん、と思う部分を捨てきれないのです。
プレーンテキストで告ってだめならデコメとかでもだめなのよ。
楽譜で言えば、作曲家には自筆譜というのがやっぱりあって、指揮者なんかはそれが保管されている場所に日参して作曲者の意図を少しでも読み取ろうとしますし、下手すると「自筆譜の、ページごとの写真」をまとめたものがあったりします。本物はもう紙がぼろぼろなので。
しかし小説においてそのようなものが世に出ることは稀ですし、小説家もそれを意図して書いてはいないと思います。
それに、例えば、老眼だから字を大きくして改行が崩れたくらいで作品の価値が損なわれるようでも困るし(無論、レイアウト自体が意味を持つような種類の作品は除きます。縦読みとか)。
そもそも、原稿用紙は普通20*20で400字ですが、書く時はほとんどがそうである(あった)にもかかわらず、実際にそう組んである本はほとんどないと思います(詩歌は除く)。
もっとも、出版社/媒体によっては専用の原稿用紙を用意している場合もあるらしいです。
そういう意味では「書籍を作るのは出版社」だし、携帯電話などは安いというのもありかも。
「文化的な価値」を求める人は、ちゃんとした電子版なり紙版なり買え、と。
ともあれ、やはり個人的に、この実験にはすごく意味があると思いました。
http://gt7u9x.sa.yona.la/344 |
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なんだか若干あきらめがついた感じ。
少し気軽で、少し悲しい。
以前何度か見たのと同じシチュエーションの夢を今朝見た。
ただ、状況は今までのよりずっと切迫していて、
恐れおののきながらとにかく逃げていくばっかり。 夢とはいえ情けないヤツ。
でも、夢を見るのは楽しいから、好きだから、内容はどうであれ起きて思い出してうれしかった。
「紙か電子かと幼稚な議論する場合ではない」——京極夏彦氏が電子書籍を語る :ニュース |
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Quote | |
京極氏 電子書籍が一般的になると出版社がいらない、と極端なことを言う方もいるが、私はそれもないと思う。データ配信と電子出版は違うものだと私は考えている。面白い小説は素で読んでもらえればよい、と言うのは傲慢だと思う。テキストデータは単なるデータに過ぎない。小説家がいかに小説を書いても、出版社がいないと書籍にならない。出版社の方に渡して本にしてもらい、さらには読者に読んでもらった時点ではじめて完成するもの。
音楽に例えれば、テキストは楽譜に過ぎない。楽譜を一般の人に配っても、分かる人しか分からない。きちんとしたプレゼンテーションをしないと商品にならない。商品にするためのほとんどの努力は、作家ではなく出版社がしてくれるもの。分かりやすいレイアウトもフォントもコンテンツのうち。そうした考え方が欠如している。
書籍は日本の文化が、木で版を彫っていた時代から何百年もかけて積み重ね、読みやすいツールとして大成してきたもの。装丁もフォントも、それが電子書籍になったらいらない、ということにはならない。そうした文化的な価値を捨ててしまっても自分の作品が感動を呼び起こせる、という過信のある人だけがそういうことを言う。日本語は縦書きも横書きもでき、文字種も選べ、ルビも付けられる。知覚言語としてこれほど優れたものがありながら、ルビも改行できないものを出版とは呼べない。書籍を作るのは出版社であり、出版するのは出版社であると思う。
さすが。京極先生は良いことを言う。必読!
http://xmny3v.sa.yona.la/759 |
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うにゃうにゃ

